北羽越鉄道写真館

羽越本線の魅力は名勝笹川流れや吹浦-女鹿・小砂川-上浜に限らず!酒田以北の佳き沿線風景も楽しんでいただけると幸いです

東海道新幹線50周年、幼少時代0系乗車の記憶^^

2014/10/01
 
1964/10/01開業の東海道新幹線
2014/10/01で早50周年を迎える。
 
私は前年の1963年3月生まれなので、
私が1歳半の時まで東海道本線では、
パーラーカーを擁した「こだま」「つばめ」「はと」などの
151系特急列車や153系や165系の急行電車や、
雑系客車の急行など雑多な列車が多数走っていたんですね。
 
当初、幼時期の私には、
夢の超特急はNHKおかあさんといっしょの歌や、
絵本の中の夢の憧れ列車でした。
開業直後は乗車できずにお初の乗車は、
小学校に上がってからですね。
 
それまでは遠距離旅行といっても会津や郡山といった
東北の親戚の家へ行くのがせいぜいでした。
 
初めて乗る0系新幹線は当時の東北筋の特急のような
烈しい勢いや揺れもなく、発車が判らないほど、
ゆっくり静かに東京駅を滑り出しました。
 
並走する101系の下駄電達が高加減速を繰り返す様を横目に、
悠々と進む0系新幹線にワクワクしたものです。
 
また、自席で味わう出来立ての暖かな「ビュッフェ東京」の
鰻弁当やカレーライスも感動モノでしたね。
 
また高速ですれ違う際の「バフッ」という衝撃が、
何故か印象的でした。
 
まぁ初乗車電印象をまとめると、
静かな発車、おいしいお弁当、みかん畑(石橋山かな?)
富士山、富士川橋梁、茶畑、浜名湖、すれ違いの衝撃、
そういった記憶が点々…
 
以後も幾度なく乗るようになるわけですが、
0系独占の時代は在来線特急乗車の際に感じた旅の
ワクワクよりはシステマティカルな高速移動体といった
味気なさは否めませんでした。
 
0系でも後に食堂車が連結されるようになると、
新幹線利用の愉しみは倍増しましたね。
わざわざ食事時間帯の列車を選び食堂車へ足を運んだものです。
定番「日本食堂」の他にも、
「帝国ホテル列車食堂」「ビュッフェ東京」etc
各社が味を競っていたのも懐かしい思い出でした。